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神津島と海の道


神津島(コウヅシマ)から伊豆半島との位置関係を示す現代の地図です。主たる航路が点線で記されていますが旧石器時代の海の道はどのようなものだったか知りたいところです。

神津島から旧石器人が採取した黒曜石(コクヨウセキ)がどのようにして運ばれたのか、神津島付近で黒曜石が発掘され確認されていますのは利島と伊豆の河津の二か所です。利島は古代よりミツケノ島(見付けの島)とかアズケノ島(預けの島)とか呼ばれており、海上から見るに円錐状のシンボリックな形状で海の民にとって分かり易い目印だったに違いありません。また、利島の遺跡から45kg黒曜石が発掘されており黒曜石搬送の中継基地的役割をしていたのではと推察されます。加えて、後世のこととなるが大量の和鏡も発見されておりアズケノ島と呼称されて来たことも頷けられます。

一方、静岡県賀茂郡河津町見高の段間遺跡(ダンマイセキ)からは500kg以上の神津島の黒曜石が発見されていることから河津が本土側の港であり集積地だったと推定されています。
神津島から河津まで直線距離約60kmですが、渡航の有無は別にして神津島から式根島まで約10km、式根島から新島まで約3.5km、新島から利島まで約10km、利島から河津まで約33kmとなり、たとえ一々立ち寄らなくとも島伝いを通過することにより安心が得られ万が一の備えとして安全確保となることが考えられます。

なお、小さな舟の海上見通しは約2km余り、太陽の方向や潮流や小島や陸の匂いなどを熟知した海の民の勘が頼りの航海でしたが、私が思うのは天城山など数多くの伊豆半島の火山、箱根山、愛鷹山、古富士などの連続する火山活動による自然の狼煙が4万年前から1万年前に亘って、海の民にとって方向の目印だったのでは考えています。
そして、伊豆半島沿いに海退によって生じた陸路を舟を引っ張って歩くか、泳げる程度の距離を保って舟を漕いで行くか彼らは宝物の黒曜石を全国に広めて行ったと考えています。

伊豆東海岸では木宮神社・来宮神社・貴船神社(いずれもキ≒木が付く)が多く祀られ、海南(海難)法師(カンナンボウシ)の伝説も根強く残されており、この地域独特の「海上からやって来る来訪紳」への信仰が強く残る土地柄となっています。
御蔵島の大ジイ(幹周13.8m)や利島の大ジイ(幹周12m)など現存しており、伊豆半島東側の島々には原生広葉樹林が生い茂り巨樹の島だったことが想像されます。

海上保安庁水路部による神津島周辺の海底調査
黒い部分は海が深い部分で白い部分は海が浅い部分

上図を参考に示したのは、旧石器時代は寒冷期にあり現在の海面より当時の海面の高さは約100m〜120m低かったとされ旧石器時代の神津島周辺の地形がどうなっていたのか、幾つもの小さい島が海上に顔を出していたのではないか、それとも現在独立して分散している島々が一つに繋がっていた可能性はないのか、海の渡航に関して神津島から伊豆の河津まで現在より数段条件が緩和(渡航距離や利島伊豆半島間の島の出現)があったのでは、と色々空想してしまいます。
残念ながら、今から1万年以上前の伊豆半島東南の島々の形状や海の様子に対し科学的研究がされていませんが、原始宗教の源流でもあり、海彦の生活の場でもあり、当時山彦達(内陸)の羨望の的・黒曜石を生む宝島でもある当該エリアの調査解明が望まれるところです。

島の周辺が広範に浅くなっていることから、当時の島の面積はもっと大きかったことも推察され、そこに旧石器時代の人々が村落を築いていたか、ないしは伊豆河津に部落を構え神津島へ定期的に黒曜石を採取しに行ったか分りませんが、なんらかしらの旧石器人の足跡は海面下に在る筈であり、今後の調査が期待されます。
ただし、最も知りたい当時の舟ないしは筏の構造を知り得る木造の遺品に遭遇することは繊維質は腐り易いことから見つけ出すことは極めて困難だと思います。ただし、石斧など間接証拠が見つかればと期待しています。

次に参考になればと思い、別の海上保安庁水路部による神津島周辺の海底調査による図面を紹介します。
ただし、古代妄想に慕っている私にすれば、三宅島に鎮座していた三嶋神社の名称延暦として大島・宮古島・古代神津島の三つの島伝説「三嶋の神」の語源ないし神々の位置づけ、ないしは意味合いが微かながら把握し得る史実として語り得るものか否か、当時大きな島が三つあったか否か興味の惹くところではあります。
伊豆半島東南約60km離れた所に存在する神津島をはじめとする島々の周辺は意外に浅いことが分ります。旧石器時代の氷河期は現在の海面より100m以上低かったとされています。下欄に海底地形として海上保安庁海路部が記している原文をそのまま添付します。

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